昭和49年12月30日  鹿子島(和之助?)一年祭における親先生の御挨拶


 本日はおかげを頂きました。
 あの、まあ、私が神様から頂きます事、また御霊様の状態を皆さんに分かりやすくお話しするならね、あの、今日の御霊様は亡くなられてからこの方、もう迷いに迷うたと言われるですね。で結局あの、行き詰ったところで親先生の祈りの圏内にある事が分かったという、あのね、(かんしば?)私はあの頂きましたですもん、ここへ出るときに。それからあの、丁度時間を計っといてそして( ? )とつけてから、あのね、お神酒のあの、湯気ごたるでしょうが、もうあの湯気でもう大変な感動をされるとです。私も一緒に感動させて頂いたんですけれどもね、そしてそういう意味の事、例えてまあ言うとね、迷うたという事は、二つの、林という字を頂くんですですよ。もう非常に迷う、これは木が二つですからね、二つの心、あの、迷うたという事です。または、井上のことを思うたり、鹿子島の事を思うたりという事もあったりする、で、結局はね、親先生の祈りの圏内である事が分かった、というてあの、西遊記に孫悟空がね、自分のあれをして、お釈迦様の手のひらに字を書いてくるところがあるでしょ、あれを私の手で頂くんです、こうやって。結局あの、結局迷いに迷うたけれども、結局は親先生の祈りの圏内にある、そして自分があの世この世も別にした事も、からこう、そこんところが分かったという事を頂くんです。
 これからは、また新たな働きが頂けるでしょう。それはね、私が御神前で頂いたのは、丁度(ねりきの?)松にしてよいくらいな、このくらいばっかりの松のね、根元にせんりょうと言う、あの、せんりょう、まんりょうというあれがあるじゃん、赤い実の、あれがいっぱい根元に咲いておる、植わってるところを頂いたんです。こりゃあまああの、これからの働きの事でしょうね。そして頂く事が、これはさっき二時間ほど前、鹿子島、あの、何から来たんですよ、あの、(まさこ?)さんから。そしてこの手紙の事を頂くからね、これをちょっと読んで聞いてもらいます。ちょっと眼鏡を持ってきて。
 今年もいよいよ押し詰まってまいりまして残すところ四日ばかりとなりました。親先生にはいつもいつも大変お世話おかけいたしまして厚く御礼申し上げます。昭和49年は年初めから鹿子島さんの急死に肝を冷やし、また、長寿を誇りに思っていました老母の死で幕が下りたような、大変な大変な一年でした。母の死につきましては本人の夢で御取次の結果、ただ事じゃありませんよ、ヘビに手があるなら辰ですね、辰なら昇天を意味します。でもね、龍が昇るには黒い雲が降りて来なければ昇れませんから、黒い雲のお繰り合わせをお願いなさい。こりゃああの私が伝えた御理解の言葉です。あれほど丈夫で、あれほど頭の働きの良い、そして、正直な母が、まさかまさかまさか、と心の中で反問しながらも、心の隅では親先生のお言葉を信じ、分からねばならぬ事を、徐々に、徐々に覚悟を決めていきました。一分一厘間違いのない時刻がとうとうやってきました。(みねこ?)親子一同の熱心な信心と、母自身の限りない神様を信頼する心が通じて、時節もよく、万事に差しさわりの無い式を頂かれた事を何と御礼申し上げてよいか分かりません。何時までも、90、いや100までもと願う心は限りありませんが、病む事も短く苦しむ暇もなく迎えとり下さいまして、残り( ? )さばかりが募りますが、寿命だと聞きますと悲しんでいけないと我に言い聞かせています。早いもので三十日祭がやってきました。(井上あや弥栄姫媼霊神?)様、神様となられた今は、子々孫々、親戚知人、教会の信者様方の上までお守りくださるようお祈りいたします。一から万事お国替えのお祭を滞りなくおかげ頂きまして、深く深く御礼申し上げます。若先生、末永先生にもよろしくお伝え下さいませ。さて、一年中で一番の山場(商売の事)、二日後に控えて、売れるものか売れぬものかと思案(なげくび?)の状態でございます。ここ三年、全然残った事は無く、むしろ多少不足気味でしたので、今年は多めに仕込をさせて頂き、順調に生育しているところでございます。暮れの仕込みに間に合うようにと新しいもやし栽培の室を新築させて頂き、その内部の設備を一から全部主人、息子相手におかげを頂き、鉄骨の切断、溶接、配管、配線、暖房と、食事も忘れるほどの熱心さで連日工事をさせて頂き、数日前より寝室での仕込みと開き初めをさせて頂き、製品も見事な品があがる有様で、本人主人はもちろん、従業員一同感心したり、安心したりで私は心から神様に御礼申し上げております。工事する人がなかなか来てくれませんし、また、頼めばすごく高くつきますが、おかげで安うに完成しました。一年以上も設備の考案を練っての工事ですので、様式が今までのものとがらりと変わっております。来て見る人ごとに素人が造ったと聞いて驚かれます。完成のお繰り合わせ、地下水の芳醇なお恵み、重ね重ね御都合有難うございます。末女(けいこ?)の下宿代わりにつきましては、再三再四御取次を頂きまして、昨夕元気な顔で親の心配もよそにけろりとして帰ってまいりました。今までの下宿より数段好条件で、バス停からも近く、お風呂もあり、下宿料は今までと変わらんとあって、おかげとも知らず一応疑ってみました。若い娘の住むのに適しているかしら、何かあるのではと親先生の言葉、替わられていいでしょう、替わってから何一つ音沙汰なし、前の下宿の方も知らんと聞き、待つ事久し、連絡なし、何度お届けお願いしたでしょう。最後に親先生に、全然連絡がありません、大丈夫でしょうかと、それはね、連絡の無いのがおかげですよ、痩せる思いで不安がっていた私、その朝から心が大きくなり楽になりました。昨夕二十六日に帰って、私の中、また娘の行動、お互いに話し合いました。ちっとも案ずる事はありませんでした。男女共学なんか問題にしとらん、英会話にタイピストに塾通いをしていて電話をかける事忘れていた。そんなに何で心配するの、と親先生私が間違っておりました。御取次を頂きながら人間心でああじゃないだろうか、こうじゃないだろうかと、ご飯ものどに通らんほど心配して神様に御無礼いたし、深くお詫びをいたします。体験してみてやっと分かりました。今後迷いません。申し訳ございませんでした。馬鹿でした。それから長男(たかとし?)三十歳の十二指腸潰瘍は、もう今はあまり痛まぬそうです。嫁に御神米を送り、小さくちぎってご飯に混ぜて炊いて頂く(食べる)よう詳しく言ってやりましたところ、素直な嫁で実行しているそうで、私は大変喜んでいます。一日も早くもと通り健康、体にお繰り合わせのお願いをします。年末のお忙しいところ下手な長文で失礼しました。書き出したらペンが止まりません。最後に一年間の無事と、商売繁盛と健康と御礼申して、明年も良き年が訪れますようお祈りします。教会皆々様にもよろしくお伝え下さいませ。
     十二月二十七日 親先生     高松 川上(まさこ?)
 親先生本当に有難うございました。何時までも何時までも御健康であられますことをお祈り申し上げます。次男(きよし?)二十五歳が跡継ぎ者として立派に成長させて頂きますようあわせて御願いいたします。
 とあります。
 このね、あの、前文がね、これからあなた方の信心だと思うです。今朝からの御理解の中にもね、「金の杖をつけば曲がる。竹や木は折れる。神を杖につけば楽じゃ。」と仰る。例えばこういう生き方をさせて頂いておる内にです、もう心配で心配で、四回も五回も御取次頂いた事を最後に、例えばもう便りが無かつがおかげばいと私が少しここで言うて、それっきり安心のおかげを頂いた。あります、様々な事が。けれども御取次を頂いてです、安心して、そしてそれが繰り返されていく内にです、本当にあれに頼り、これに頼りするこっちゃあない、神様を杖に、神様を一心にすがり頼っていけば、という楽じゃというおかげを頂くという事がです、もうお道の信心、いやもう宗教の最終のおかげです。あの、いよいよの時には親先生に御取次を願えばよいという、その安心がだんだん確信となってくる。そういう信心生活をね、これから、今この全部にあった通りのような事、例えば(まさこ?)さんがこうしていちいち御取次を頂いて御願いをなさって、仕事の事、子供達の事ね、その何からかにまでのこの、様々な岐路に立たれたり、いろいろな山もありますけれども、そこを御取次一筋におかげを頂いておられるという、この様子をね、あなた達の場合はもっとこれができるわけです、本当言うたら。そばに居られるのですから。そういうおかげを頂いて、いよいよあの、神を杖につけば楽じゃというこの、楽な信心を一つ頂かせてもらう事が目指しでなからなきゃならない。
 今日は御霊様を(?)でしたけれども、この御霊様が例えば今日の私はあの、松にあの、(せんりょう?)のいっぱいあるというか、せんりょうは私はおかげを意味するもんだと思うです。特に金銭のお繰り合わせだと思うですね。そうすっと、松というのはいうならここの信心という事です。この松の信心がある限りね、松の信心がある限り、木を公と書いてあるから心を大きく持ってね、一つあの、イライラしたりもやもやしたりせずに、もう神様におすがりしぬいて一つ信心になる限り、御霊様もこういう働きがおできになるようにこれからは、今日のお祝詞の中にも申しておりますように、この御祭りをさかいに一段と御霊の位も進みというようなね、おかげを頂かれるという事なんです。
 昨日、一昨日でしたか、末永先生がお夢頂いております。それね、おじいちゃんが山を登って、真っ裸でね、そして山の八合目のところにおるところ、そしてお婆ちゃんがどうしたじゃろうか、神様の御都合っち、もう何べんも御都合っち言うてから、その手をこうしながら言うておるところを頂いたけれどもどういう事でしょうかと言うんです。これはね、例えて仏教で言うならば五十日、お道で言えば五十日、ああ、仏教で言うなら四十九日、この間はね、そりゃあキリスト教もやっぱり変わらないそうですね、この新御霊様とか生仏様とかいう期間というのは。そこにあの、ちょっと何か天地の大きな一つの深慮を感じますよね。あらゆる宗教が同じ日にちを(?)ればです、私共がこの生身から、この世からあの世に移ってのしばらくのいわゆる修行期間とでも言うかね、そこで初めてです、もうこれは天地の親神様の(おしきせ?)ですからね、例えば水が飲みたいというても許されなきゃ飲まれんとですよ。お酒が好きじゃったけんお酒を、なら直接御霊様にお供えしたからというて御霊がそれをすぐ受けるというわけにはいかんとです。天地の親神様のお許しを頂かなければ、あの、なら私共がです、天地の親神様のお許しを頂かなければ実を言うたらここ一寸動かれんとです。ならこの笏(しゃく)一つ持とうと思うても(?)の人は持てんでしょう。許されなければ持てんのです。御霊様もなおさらそこんところは厳密です。もうそれこそ帯がしたいけれども帯もなし、縄帯のような帯をしておる人、便所に行きたいけれども便所に行く事すらできんといったようなね、人達がありますよ。もうそれは、御霊の世界を思うたらもう本当にもう現前とねあるのですから、もう本当にこの世で本気で魂の清める事のね、精進をしておかなければ馬鹿らしかです。というように、例えばなら私の父なら父の御霊様が五十日祭を終わったころに、初めて、ならあの、どういういうなら着物を着せていただこうか、(おしきせ?)の、ね、昔は(おしきせ?)と言いましたね、あの、店主が番頭やら小僧やらにこう着せるというのは(おしきせ?)と申しました。その(おしきせ?)なんです。木綿の着物を着るか、綿繊の着物を着るか、それこそ紋付袴でぴしゃっとおかげを頂けれるか、そこがね、あとから残った者のこの五十日祭をいかに大事にしなければならんかと、私はあの、ここの田中さんのお父さんが二、三日前亡くなられましてね、それであの、その事を大変やっぱり、詳しく厳しく教えて差し上げたんですけれども、それをさせて頂くようになったらとってもおかげを頂くちゅうですね。気持ちがね。ようにその、例えば今日の御霊の場合なんかは、ならいうなら迷いに迷うて、そしてもう大変な大きな悟りが開けたわけですね。これは結局親先生の祈りの圏内にあるんだという事が分かった時に、初めて御取次を頂いてこれから助かろう、自分も助かろう、または皆さんの心の残っておる方達の上にも働きができるほどしの御霊の力も位も進めていこうという精進をする姿勢を見せられた感じが、今日のお祭のような感じでしたですね。
 どうぞあの、神様からも私が教えていただきますような、いわゆる松に千両の、それこそあのいきいきとしたね、信心を頂かせてもろうて、本当に、おかげでこんなおかげを頂いたというような、御霊様に御礼が言える、そこに御霊様の喜びというか、御霊様の一段の勢いが出てくると思うんですよね。今日はそういう意味で大変有難いお祭でした。